邪馬台国のよくある朝鮮半島南部説の根拠

邪馬台国のよくある朝鮮半島南部説の根拠は、

 

1.倭は朝鮮半島南部にあったから。

 

 魏志韓伝に、「韓は帯方郡の南にあり、東西を海をもって限りとなし、南に倭と接す」

 

⇒もし、倭が九州や日本なら、「韓は帯方郡の南にあり、東西南を海をもって限りとなす」となっていたはず。

 

 2.倭の盟主の邪馬台国朝鮮半島南部にあったから。

 

 魏志韓伝に、「倭と韓はついに帯方郡に属す」

 

⇒もし、倭の盟主の邪馬台国が九州や日本にあったなら、古代日本史の一大事として、「魏の帯方郡に属した」という記録が残っていたはず。

 

 

 3.邪馬台国は倭の奴国より北にあったから。

 

後漢書に、「倭奴国は倭の極南界にある」

魏志倭人伝に、「女王国以北は、戸数・道里を略載(略記)できる」

 

⇒もし、奴国が邪馬台国より北にあったなら、奴国から邪馬台国までの道里が記載されていたはず。

 

 ※なお、「女王国以北は、戸数・道里を略載(帯方郡に近く既知なので省略)できる」と解釈すれば、

狗耶韓国から奴国までは邪馬台国より南なので、帯方郡から邪馬台国よりも遠いから省略せずに、戸数・道里が記載されたことになります。